大学いもの由来と語源は?名前に「大学」がつく3つの説

大学いもの名前の由来は、東京大学の赤門前にあったお店で売られていたことがきっかけです。

さつまいもを揚げて蜜に絡めたものが大学前で売られていたため、口コミで「大学前のいも」「大学いも」と呼ばれるようになったのでしょう。

他にも大学いもの由来・語源は大きく3つの説があります。その中でもっとも信憑性が高いのがこの東大赤門前で売られていた説です。

ここでは、大学いもの由来について3つの説をご紹介しながら、真相に迫って行きたいと思います。

ご興味のある方はぜひお読みください。

目次

大学いもの由来3つの説

大学いもの名前の由来・語源は、代表的な説が3つあります。

  1. 名前に「大学」をつけるのが流行りだった説
  2. 東大生が学費を稼ぐために売っていた説
  3. 東京大学の赤門前で売られていた説

それでは、順番に見ていきましょう。

1. 名前に「大学」をつけるのが流行りだった説

明治から大正の時代、大学に進学する人はまだ珍しく、大学という存在が特別ものでした。

そのため、商品名の頭に「大学」とつけることが、一種のブランドのような高級感のあるイメージにつながったのでしょう。

大学ノート(1884年販売)や大学目薬(1899年販売)などが代表的です。

この流行にあやかって、さつまいもを揚げて蜜で絡めた料理にも「大学いも」という名前が付けられたという説です。

流行だけで「大学」と付けるのは少し強引?

この説は一理あるかもしれませんが、誰が大学いもを作ったのか、どこで売られていたのかなどの情報がないため具体性に欠けています。

また、もし仮に大学とまったく関係のないイモ料理が「大学いも」と名付けられたのだとしたら、それは少し強引な話です。

確かに「大学」という名前を付ける流行が「大学いも」の語源の背景にはあったのかもしれません。

でも、何か他に「大学」と「イモ」とを結びつける要因があったからこそ、「大学いも」になったのではないでしょうか?

そういう意味で、説と呼ぶには少し弱い気がします。

2.東大生が学費を稼ぐために売っていた説

この説によると、大学いもが売られるようになったのは昭和2年(1927年)のことだそうです。

昭和初期は不況が相次ぎ、東大生の中にも学費を払うのに困っている人がたくさんいました。

そんな中、ある学生が学費を捻出するために売り始めたのが大学いもだったというのです。

大学生が売っていたイモだから「大学いも」と呼ばれるようになったという説です。

参照:https://www.jrt.gr.jp/q_a/spqa_daigakuimo/(日本いも類研究会)

話としては説得力があるけれど・・・

確かに、大学いもは、さつまいもと砂糖という安い材料費で作れるため、お金に困っている学生が売るには最適かもしれません。

確かにストーリーとしては説得力があるのですが、大学いもを売った人物など、詳しい情報がないのでこれも裏付けができません。

そういう意味で、この説も具体性に欠ける説だといえます。

3. 東大 赤門前で売られていた説

この説が冒頭でご紹介した説です。

ご紹介した説の中では、一番信憑性がある話です。

赤門前の氷屋「三河屋」が売っていた説

大正初期、東京大学の赤門前に「三河屋」という氷屋がありました。

氷屋は、冬の寒い時期は氷が売れません。

そのため、冬にさつまいもを揚げて蜜を絡めて売ったそうです。

そしたら、それが東大の教授や学生の間で評判になり、やがて三河屋の定番メニューになったのです。

「大学前で売っているいも」ということから、それはいつしか「大学いも」と呼ばれるようになります。

大学の前だから「大学いも」というのが名前の由来というわけです。

元祖大学いも「味の良三郎」

大学いも発祥のお店「三河屋」は1940年(昭和15年)で閉店することになります。

でもその後、三河屋で修業をしていた良三郎さんという方が台東区で「元祖大学いも 味の良三郎」というお店をオープンします。

現在は三代目の方が営業していて、お店の包み紙には今でも「元祖 大学いも由来」としてこの話が書かれています。

「味の良三郎」のお店の情報はコチラ↓

店名元祖大学いも 味の良三郎
所在地〒111-0021 東京都台東区日本堤2丁目16−4
地図
元祖大学いも 味の良三郎 お店情報

大学生が関係する類似した説

他にもこれに似た話として、東京の神田付近の学生街で大学生が好んで食べていた説、早稲田大学の近くにある芋屋で売られていた説があります。

いずれも、具体的な店名や人物がないので、三河屋の説が一番有力といえます。

補足:大学いもの起源は中国?

大学いもは、中国に起源があるのではないかという話があります。

それが、さつまいもに溶かした飴をかける「ミーチエンホンユイ(蜜濺紅芋)」という料理。

地域によって、「バースーバイシュー(拔絲白薯)」「バースーホンシュー(拔絲紅薯)」「バースーディーグワ(拔絲地瓜)」などいろんな呼び方があります。

この中国の飴掛けイモ料理は、日本でも1912年(明治45年)に「実用家庭支那料理法」(奥村繁次郎・著)で紹介されています。

関西では中華ポテトと呼ばれている

中国の「さつまいもの砂糖蜜がけ」が日本に伝わったのは明治時代の関西が始まりといわれています。

当時、大阪には多くの北京系の華僑の人たちが日本に来て、中華料理店を営んでいました。

その中の料理として「さつまいもの砂糖蜜がけ」が提供され、大阪府民はそれを「中華ポテト」と呼んでいました。

その後、関東から大学いもが伝わった際、それが中華ポテトに似ていたことから、関西の人たちの間では大学いもを「中華ポテト」と呼ぶことがあります。

中華ポテトと大学いもの違い

中華ポテトと大学いもの違いは2つあります。

1つは大学いもに比べて中華ポテトは飴の濃度が濃いので、冷めると飴が固まってカチカチになってしまうという点です。

そのため、熱いうちに取り分けて、冷水にくぐらして固めながら食べるのが一般的です。

2つ目は、大学いもでお馴染みのゴマが中華ポテトには振りかけられていないこと。

もしかしたら、中華ポテトが大学いも発案のきっかけになっていかもしれませんね。

「第4の説」3つの説はつながっていた?

以上、3つの説についてお話してきました。

ここでそれぞれの説が事実にもとづいているとした場合、こんな解釈もできるのではないか?というお話をご紹介したいと思います。

それは3つの説を時系列に合わせて点と点で結んだ説です。

大正初期、東大の赤門前にあった三河屋という氷屋が冬に大学いもを売り出しました。

それはたちまち大学の教授や学生の間で流行し、大学の前で売られていたことから「大学いも」と呼ばれるようになります。

当時、商品名の頭に「大学」と付けることが流行っていたため、「大学いも」という名前はすぐに定着し周りに知られるようになります。

その後、大正から昭和にかけて大学いもは東大以外の学生の間にも広まるようになり、早稲田大学周辺や神田の学生街でも好んで食べられるようになります。

さらに昭和初期には、不況で学費の払えない学生たちが、人気の大学いもを自分たちで作って販売し、学費を捻出するようになりました。

このように説と説を結ぶと、3つの説のつじつまを合わせることもできます。

インターネットのない時代、どの話を最初に耳にしたかで大学いもの由来の解釈が異なっているということは十分あり得る話です。

これは、あくまで私の勝手な想像なので、信じるか信じないかはあなた次第。

まとめ

大学いもの名前の由来・語源には3つの説があり、東大 赤門前で売られていた説がもっとも有力だということが分かりました。

話の信憑性という点では、この説がもっとも有力だとは思いますが、それぞれの説も、もしかしたら大学いも発祥のきっかけになっていたのかもしれません。

身近な料理「大学いも」にもこんな歴史があったなんて面白いものですね。